【鬼木コーチ】comeの概念を通して見るフットボールとの向き合い方①

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こんにちは鬼木です。

今回上手くまとめられず何度も書き直しをしているところで、長友選手が“comeの概念”のお手本のようなゴールを決めてくれました!

55日ぶりの復帰戦で1923日ぶりのゴールだったそうです。

リハビリ期間中に色々と概念を共有でき、本人も「ゴールに走っただけだったわ!」と言ってくれたのでとても嬉しかったですね。

その感覚を本人が手記でまとめてくれています。

■長友佑都手記『ありのままの自分』“COMEの概念”がゴールにつながった

 

※スポーツナビより引用

ここからますます進化していくと思うので期待してください!

前回は“comeの概念”の概要についてお話ししました。

前回のメルマガを配信した後、諸外国語を使っている方々から「全く意識してなかったけど言われてみたら確かにそうですね」と言う話をいくつかいただきました。

普段何気なくしていることで「言われてみたら確かにそうだね」と言うところに僕らが進化していくキッカケがあるのではないかと思っています。

また、その中で日本語は聞き手の能力が問われる「ハイコンテクスト文化」反対にフットボールを得意にしている国々の多くが使っている言葉は話し手の能力が問われるローコンテクスト文化という特徴があることもお話ししました。

「人間は言語で思考する」とも言われるようですが、日常の中で自分の頭や心に浮かんだイメージを適切に伝えることって本当に出来ているのかな?と最近特に感じています。

外国語を日々勉強していますが、「そもそも日本語の語彙力が圧倒的に足りない」し「語彙はあっても、自分の言葉選びの癖」があまり良くないなと日々絶望に浸っております(涙)

ここで一つお伝えしておきたいのは「外国語の方が優れているとか日本語が劣っている」と言言いたいのではなく、先ほども申し上げたように「言われてみたら確かにそうだね」を少しでもなくせるようにそれぞれの特徴を踏まえた上で最適な何かを考えていきたいと思っています。

今回は”comeの概念”をどのようにフットボールに活かしていくのか?“comeの概念”でどうフットボールを瞰ていくか?をお伝えして行きます。

皆さんの活動がより良くなるキッカケになれるよう頑張って書きます。

◆comeの概念のおさらい

まず、“comeの概念”を確認しておきたいと思います。

こちらの毎度お馴染みWeblio英会話コラムをご覧ください。

英語の「come」と「go」の違いと使い分け方のコツ

 

※「weblio 英会話コラム」より引用

 

日本語では『話者、動作主の視点』を中心にして

 ・話者、動作主の視点から離れて行くイメージを「行く」

 ・話者、動作主の視点に近づいて来るイメージを「来る」

と言います。

話者、動作主が基準になりその視点にカメラが置かれているイメージです。

日本語ではそのカメラが映し出す景色を共有した上で会話が進んで行く特徴がありましたね。

一方で諸外国語では『聞き手、任意に視点が置かれた場所』を中心として

 ・文意の焦点となっている位置から離れて行くイメージを「 go 」

 ・文意の中心に据えられた対象に向かって《近づいていく》イメージを「 come 」

と言います。

彼らの言語の特徴は唯一神の視点に近づくと言うものが根底にあるため、第三者的視点があるのが特徴でした。

ですので、客観的事実を淡々と述べるような言い回しにになり日本語に直訳すると少し無機質な冷たい印象となってしまうこともありますね。(この話は後ほど)

おおよそ「行く」「来る」と適応していますが、視点が置かれた場所が話者、動作主と異なる場所であった場合日本語だと「行く」動作が「come」となるケースがあります。

◆「俯瞰的に見る」と言うこと

FOOT×BRAINの第一回で中田英寿さんが「ピッチ内で俯瞰的に見えている時はプレッシャーがそもそも存在しない」と仰っていました。

また、中村俊輔選手は幼少期にお父さんが撮影してくれたビデオを毎試合観て「あの時プレッシャーに感じた相手との距離感、外から見たら全然フリーじゃん!」などと、ピッチ内で見えた景色とピッチを外から見た感じとをイコールに出来たのがよかったとインタビューで答えていました。

日本サッカー史に残る視野が広くゲームを作れる選手がこのように仰るように、フットボールにおいてはピッチ内においても「俯瞰的に」物事を捉えて行くことが大切なのは皆さんも承知の通りだと思います。

上手いと言われている人たちはこの感覚を持ってプレーしていると思います。

しかし、外から観ていて分かることもいざピッチの中に入った途端全く見えなくなってしまうことは少なくないと思います。

そこでまず「俯瞰」という言葉の意味を確認したいと思います。

(音)フ(訓)うつむ・く:身をかがめて下を向く。

(音)カン(訓)み・る:上から下を見る、見下ろす。

俯瞰:高いところから見下ろす。

これってつまり、諸外国語の持つパーソナリティそのままなのではないか?と思うのです。

日本語は場の設定がない限り、見てるスクリーンがとても主観的になる特徴があります。

例えば

 ・太郎が花子にお花をあげました。

 ・太郎が花子にお花をくれました。

事実として起こっている事象は「太郎が花子にお花を渡した」と言う事実でしかありませんが、「渡した」と言う言い方は日本語的には少し無機質な印象を受けますね。

そして、自然な日本語にするとどちらのスクリーンに立つかによって使う動詞が異なってきます。

年末年始にイギリスに行きある博物館に行った時にこんな展示がありました。

この中からそれぞれのキャラクターから見えてる景色はどれでしょうか?

と言うものです。目の前にあるものは同じでも、見る角度から物事は全く別物になってしまうと言ういい例ですね。

我々の言語の仕組みからすると、ピッチ上でやるべき事が統一されていないとこういう事が起こりやすくなってしまうのではないでしょうか…。

◆comeの概念でフットボールをどう見るか?

ここからcomeの概念でどのようにフットボールを見ていくか?についてお話ししていきます。

ピッチ上でお互いが認識した場所(目的地:ボールとの接点、相手との接点)に向かうこと。

これをフットボールのおける「comeの概念」と定義したいと思います。

そんな動きから成立したプレーのことを、〔comeってる〕〔comeしている〕と定義します。

そして、目的地にcome出来る場所に立つことを「カムさま」とも呼んでいます。

反対に共通の目的地に向かえていないことを〔come出来てない〕と定義します。

最小単位である2人の関係に置き換えるとわかりやすいですが、3人以上でも問題ありません。

外から見てる時に「ここに行けよ!」と思うような動きです。それをピッチ上で再現するイメージです。

ですので、それぞれがそれぞれ別の景色から見ていては上手くいかない可能性が高まりますね。

「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」を整理するためには大切な視点ではないか?と思っています。

フットボールにおいては基本的に攻撃においても守備においてもボールは進行方向と反対側から来ることが多いと思います。

目は前にしか付いていませんから、その状況に置いて今どの方向にゲームが向かっているのか?を認識出来ないと上手くプレーが出来ないと思います。

comeの概念はその状況において〔ゲームがどの方向に向かっているのか?〕を整理するための共通の目線作りがしやすくなるのではないか?と思っています。

以下ざっと状況に分けてcomeの概念を通じて説明して見ました。

具体例を挙げるのは難しいのですが、この例をいろんなプレーに当てはめて見たり実際にプレーしてみてください。

僕のtwitter、instagramではcomeの概念で説明出来るプレーを #comeの概念 のハッシュタグを付けて紹介していますので、検索してみてください。

 

 

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