【サッカーの本質】サッカーを教育のツールしてはいけないという話
こんにちは!「大人になってから学ぶサッカーの本質とは」というブログを運営している今井です。
第13回となる今回のテーマは、「サッカーを教育のツールにしてはいけないという話」です。
サッカーは偉大な乗り物
「サッカー選手とはサッカーをする人です。サッカーは偉大な乗り物です。でも、それは最も重要なことではありません。最も重要なことに到達するための素晴らしい乗り物です。良い人間をつくりあげることです。」
上記は、ウルグアイのサッカー指導者であり、元小学校教師でもあるタバレス監督の言葉です。
タバレス監督は、サッカー選手である前に、良い人間であるよう選手たちにも求めるのです。素晴らしいことだと思います。
プロフェッショナルのサッカー選手として、子どもたちの憧れの的として、良いサッカー選手であると同時に人間として良い振る舞いができることは、子どもたちが自ら良い振る舞いをすることがかっこ良いと思うきっかけになるかもしれません。
多くの人に対して影響力のあるサッカー選手は、人間性も求められるということです。
サッカーは教育のツールではない
タバレス監督の言うように、サッカーは人間性を育む乗り物だと思います。
しかし、それはサッカーは教育のツールであるというわけではありません。
サッカーを教育のツールとしてしまう指導者の方がいますが、私は違うと思うんです。
サッカーのコーチはサッカーを指導する為にいるのです。
良い人間を育む為にサッカーを教えてはいけないのだと思います。
サッカーは一人でプレーすることができません。
サッカーは仲間との関係性を深め、家族との愛情を深め、チームとして結束し、あらゆる困難を乗り越えていくものです。
仲間が、家族が、何を想い、何を感じているのかを知ること。
そして自分自身も困難に直面した時に、仲間や家族に助けられて成長することで大切なことを学ぶのです。
サッカーを通じて、一人ひとりは異なるということを知り、大切にしなければならないものを知り、コミュニケーションの本質を知ることができるのです。
この本質を知らずに、サッカーを指導することはできないと思います。
サッカーを教えるということは良い人間を育むということ
サッカーを教えるということは、結果的に良い人間を育むことに繋がると思うのです。
仲間とプレーするために、パスの精度を高め、仲間や家族と勝利を分かちあうためにシュートの精度を高め、守り方を、テクニックを戦術を学ぶのです。
サッカーを教えるということはそういうことなのだと思います。
グラウンドに挨拶、本部に挨拶、相手チームに挨拶、シャツはしまって、カバンは揃えて、紳士に振舞って、って教育的指導をするチームを見かけますが、本質を伝えられていないなと思います。
大切なのは形式ではないのです。教育とは中身を育むということなのだと思います。
相手をリスペクトするとはどういうことか、指導者自身がわかっていないのかもしれません。
人は一人では生きられないように、サッカーも一人ではプレーできないんです。
仲間がいなければ、相手がいなければサッカーはできません。
大切なことがわかっていれば自然に相手をリスペクトします。挨拶もできます。
教育とは挨拶をさせることでも、リスペクトを強要するものではありません。
もちろんカタチから入ることが有効な場合もあるのですが…そういうことをしっかりと伝えることはできているのだろうか?とジュニアサッカーの現場に行くと感じることは多いです。
サッカーの本質をしっかりと伝えることは、良い人間を育むことに繋がるのです。
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