なぜ、17歳から始めてプロサッカー選手になれたのか?(3)

檜垣裕志

なぜ、17歳から始めてプロサッカー選手になれたのか?(1)

なぜ、17歳から始めてプロサッカー選手になれたのか?(2)

いざ、ブラジルへ

家族の反対を押し切り、ブラジル行きが決まりましたが、プロサッカー選手になれるとは全く思いませんでした。

僕も含めて、誰もが、僕がプロサッカー選手になれるとは思っていませんでした。

そりゃ当然ですよね。

17歳からサッカーを始めて、リフティングすらまともにできない実力も実績も全くない人間が、世界のトップでもあるブラジルに行くことすら無謀なことなのに、ましてやそこでプロサッカー選手になれるなんて考えられないことですから。

ブラジルの地へ

ブラジルに降り立ち、まず世界観の違いに圧倒されました。

人生で初めての外国、日本とはまるっきり違う風景、すごく大きなスラム街もありました。

ブラジルに着いて、すぐに帰ることを考えましたよ(笑)

プロサッカー選手になるような人間は、人とは違うわけではありません。

僕は、小心者の一般人です(笑)

ただ、とにかく自分自身が弱っていても、それでも人というのは前にしか進めませんから。

クラブチームへ

留学生は、仲介業者によりチームを振り分けられて、各チームに行かされました。

僕は、当時ブラジル1部リーグのサンパウロ市内にある、ポルトゲーザに入団しました。

当時は、日本からの留学生も少なく、入団パーティーなんかもありましたね。

入団と言っても、練習生として入っただけで、誰から期待もされてないし、ただの一留学生に過ぎませんでした。

プレーすれば、下手なのはわかりますからね(笑)

紅白戦

初日は、テクニカルなトレーニング中心で、その後、2タッチゲームでした。

自分のボールコントロールが下手すぎて、情けなかったことを覚えています(笑)

そして、2日目に紅白戦があったのですが、残り10分くらいの出場だったかな…

右サイドのポジションをやらされたのですが、僕の後ろの右サイドバックには、のちにブラジル代表にも選ばれ、オリンピックでも活躍したゼマリアがいました。

当時の彼は、控えのさらに控えでしたから、僕と同じチームでプレーしていたのです。

2アシスト

ブラジルでは、初めての紅白戦。

言葉もわからないし、後ろのゼマリアはずっと指示出してくるしで、とにかく必死に走りました。

控えの控え、テスト生なんかもいた中でしたから、ゼマリアの縦パスも良くて、右サイドからの2アシストができました。

でも、全く満足なんてありませんよ。

所詮、試合でのプレーは相手次第ですから。

僕の技術が高いわけでも、上がったわけでもありません。

そんなことは、ボールと自分が向き合った中で、よーくわかっていましたから。

とにかく必死

フィジカルトレーニングやテクニカルなトレーニングは、みんな一緒なので普通にやれましたが、紅白戦だけは相変わらず10分しか出れませんでした。

そりゃ当たり前ですよね。

みんなはプロ予備軍で、僕はただの留学生でお客さんなわけですから、彼らのような実力がなければ、紅白戦に出る意味さえありません。

でも、紅白戦はやりたい、出たいですよね(笑)

とにかく必死にやりました。

監督には、ポジションはどこでも良いからプレーさせてと直談判しました。

右サイドバックの意味

監督からは、まず右サイドバックをやれと言われて、短い時間の出場は変わらなかったですが、右サイドバックでプレーすることになりました。

後からわかったことですが、サイドバックというのは、

  • 試合全体を見ることができて
  • フリーでボールを受ける機会が多く
  • 攻撃の起点にもなり
  • ディフェンスもしっかりやらねばならない

と、サッカーの勉強には最適だったのです。

ですから、ブラジルには常に素晴らしいサイドバックの選手が現れます。

その選手たちは、サイドバックだけではなく、10番をつけてトップ下でプレーすることもあり、トップ下の選手がサイドバックでプレーすることもあります。

サイドバックの重要性

このように、右サイドバックをやらされながら、攻めに守りにどんどんサッカーの勉強ができました。

ブラジルは、指導などありませんよ。

自分がどれだけ考え、感じ、学んでいくかだけです。

できなければ、「はい、さようなら」の世界です。

プロ予備軍にいるということは、結果がすべてです。

僕は下手でしたが、必死に食らい付いていきました。

そうこうしているうちに、紅白戦も最初から出場することもありました。

自分が上手くなってる実感は、ゼロでしたが(笑)

控えチームですから、マークするのはレギュラーの左利きの選手です。

上手くて速い。

必死についていきましたよ。

僕は、ボールコントロールは下手でも、ディフェンスってフィジカルや慣れもありますからね。

シャットアウトすることも、ありました。

しかし、いかんせん僕には技術がない(笑)

ブラジルでは、攻撃できないサイドバックは、サイドバックじゃないんです。

だからこそ、

  • 技術の重要性
  • サッカーというスポーツにおける基礎基本

を、この右サイドバックから学びました。

それが、のちに大きく飛躍するきっかけをつかむポイントとなったのです。

つづく

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この記事を書いた人檜垣 裕志檜垣 裕志
1970年生まれ 石川県出身。ブラジル選手権一部リーグに所属するチーム。日本国籍者としてプロ契約した2人目のサッカー選手。ブラジル選手権一部リーグのポルトゲーザなどで活躍。当時、ゼ・ロベルト(2006 W杯ブラジル代表)とともにプレーをした経験もある。
FIFA(国際サッカー連盟)公認コーチライセンス、
CBF(ブラジルサッカー協会)公認コーチライセンスを保有
圧倒的なテクニックと確立された指導法には定評がある。現在、明光サッカースクール、東京スポーツレクリエーション専門学校などで、子どもたちにサッカーを指導している。
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