なぜ、17歳から始めてプロサッカー選手になれたのか?(2)

檜垣裕志

高校サッカー

当時の日本サッカーは非常にマイナーで、高校サッカーの方が観客が多かったくらいです。

そんな状況の中、僕自身も例に漏れず、あの高校サッカーのドラマ仕立てに憧れて、全国大会出場が目標だったりもしました。

でも、サッカーは始めたばかりでしたから、まともにリフティングもできないくらいの下手くそでしたが(笑)

中学浪人から高校生になり、高校一年生のときはGK、高校二年生からフィールドプレイヤーとなりましたが、いろいろ考えてやっていたつもりも、上手くなっている手応えは全くなかったですね。

チームが勝った負けたで一喜一憂していて、自分自身のサッカーは上手くなっているのかというと、何がどう変わってきたのか具体的にはさっぱりわからなかったです。

要するに、上手い基準がわからないのです。

この差は大きいなと思ったこと

高校時代の試合というと、全国大会に出るようなチームとも試合をやりました。

そこで、

  • 周りのみんなが上手いという基準
  • 僕の中では違うという違和感

はありましたね。

みんなは、派手なシュートや派手なドリブルに目が行きがちだったり、スピードやフィジカルばかりに注目がいく中で、僕は、ファーストタッチの違いを感じていました。

漠然とですが、その差はかなり大きいなと。

具体的なことはわからない

ファーストタッチの違いを漠然と感じていたけど、どう上手くなるかは全くわからない中、とにかく自分自身には

  • 基礎がない
  • 基本ができていない

それだけはハッキリしていました。

しかし、誰もが言う基礎基本の

  • 止める
  • 蹴る
  • 運ぶ

について、具体的なことは全くわからないし、身につける方法も全くわかりませんでした。

一つ言えることは、自分には目の前のボールを正確にコントロールできる技術がないということだけでした。

上手くなるために

プロサッカー選手という夢のためには、自分が上手くなる以外に道がないわけですが、その上手くなるための確かな方法は全くわかりませんでした。

高校生から始めたサッカーですが、とにかく練習はしました。

朝5時に起きて始発に乗り、自主練の朝練。

放課後の部活、それが終わってから自主練で夜練、終電で帰るというのが日課でした。

でも、自分がどう変わったのか、上手くなったのかがわからない日々を過ごしていました。

だから、ブラジルへ

日本のサッカーはマイナーでしたし、プロのサッカーをまともに見る機会がなかった中で、サッカーというものがわからなかったです。

まともに、サッカー指導を受けたこともなく、だからこそ、本物のサッカーを知るためにもブラジル行きを考えました。

しかし、ブラジルに行けば上手くなるという考えは全くありませんでした。

自分自身で上手くなるという気持ちしか、なかったです。

誰かが何かをしてくれるなんて、思ってはいけないことだと思います。

ブラジル行きは、本物のサッカーを知り、自分が上手くなるための手段の一つでしたから。

ブラジル編につづく

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この記事を書いた人檜垣 裕志檜垣 裕志
1970年生まれ 石川県出身。ブラジル選手権一部リーグに所属するチーム。日本国籍者としてプロ契約した2人目のサッカー選手。ブラジル選手権一部リーグのポルトゲーザなどで活躍。当時、ゼ・ロベルト(2006 W杯ブラジル代表)とともにプレーをした経験もある。
FIFA(国際サッカー連盟)公認コーチライセンス、
CBF(ブラジルサッカー協会)公認コーチライセンスを保有
圧倒的なテクニックと確立された指導法には定評がある。現在、明光サッカースクール、東京スポーツレクリエーション専門学校などで、子どもたちにサッカーを指導している。
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