【鬼木コーチ】「comeの概念」について

スキルアップ DVD教材 鬼木祐輔 フットボールの勉強 講師

こんにちは鬼木です。

お元気ですか?新年度が始まりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

学年環境が変わる方は期待や不安やいろんな気持ちが駆け巡っていると思いますが、何事も「最初が肝心」と言われますので、心機一転立ち上がりからガンガンやってやりましょう。

学年や立場が変わる方は「今が一番若い」という言葉を胸にこれまでのやり残しや後悔の原因を作ったどうしようもない奴(自分)のケツを今の自分で拭いてやりましょう。

いや、自分調子いいよ!(羨ましい…、そんなこと言ってみたいです…)という方は引き続きその調子で行ってください!

さて、今回は各方面からどういうことだよ!と言われております、「comeの概念」について説明をしていきたいと思います。

 

■「come」の概念とは…?

「なんか難しいな…」という声もチラホラ耳に入ってくるのですが、今回のこの記事をお読み頂けたら『なんだ、そんなことかよ』と言うようになってもらえるよう頑張って書きます…

前回のメルマガで言語によってこんな内容を紹介しました。

日本語は「話者の見えてる景色を共有して話が成り立っていく」という特徴があります。

しかし、英語は「第三者的目線でそこで起こっていることを述べていく」というような特徴があります。

ちなみにこれは英語に限らず、フットボールを得意にしている国のほとんどがそういう形の言語を使ってコミュニケーションを取って行きます。

我々の母国語日本語とフットボールを得意としている国の言語(以下:諸外国語)ではスクリーンを見るためのカメラの置き所が異なります。

諸外国語は16世紀の宗教改革の際それまでラテン語で書かれていた「聖書」が活版印刷の普及と共に土着の言語に翻訳されていく過程で体系だてられたと言う経緯があります。

語尾が違うだけで似ている言葉が多いのはその為です。

また、僕だけかもしれませんが、日本に住んでいると「日本は日本」と思いがちなので、今、存在する「国」が「国」と言うイメージになりがちな気がします。

世界史の授業がなかなか頭に入ってこなかったのはこのせいもあるのかな?と最近思っています。

今ある「国」と言う形が出来たのもそれ以降で、ドイツなんかは今のドイツになったのは1990年ですし、そもそも「ドイツ」と言う名前(日本ではですが)になったのは1871年(明治3年)のことでそこから一旦ワイマール共和国と変わってからのドイツなのでいかに前提を理解した上で物事を知ることが大事か?と言うのを最近痛感しています。

まあ、日本も明治になって全く別の国になってますし、そこから戦争を挟むとまた違う国になってしまっているような気もしますが、またその話はおいおい…。

 

■神という言葉の文化的背景

さて、話を戻します。

言語というのは仕組みを記号化したもので、その地域の文化と密接な関係があります。

トルコは政教分離をしている国ですが、人口のほとんどがイスラム教徒の国です。

なので、使っている言葉のイスラム教由来の言葉があります。

İnşallah(インシャアッラー )

إن شاء الله(アラビア語)

という言葉があります。

イスラム教の教典はアラビア語で書かれていてイスラム教徒になるにはアラビア語を学ばなくてはいけません。

トルコ語もオスマン帝国時代はアラビア文字を使ってトルコ語を表していたそうです。(アラビア語は読める気がしない)

この言葉もアラビア語が語源でイスラム教国では当たり前に使われている言葉で、すべてのことはAllah(=唯一の神)のプラン上にあり、どんなに当人が望んだことでも神の意志と反していれば、実現しなくても仕方ない。

という僕らには理解しづらい前提から使われます。

「そうなるといいね、でも神のみぞ知るだよね」みたいな感じでしょうか。

僕がこの言葉使うとトルコ人みんな喜んでくれます。

なぜこの例を出したかというと、イスラム教では神のことをالله (アッラー)と言います。

トルコ語ではallahと書きます。

前回のブログでもご紹介しましたが、そもそも日本語の神さま=Godではありません。

僕らのよく耳にする西洋の言葉ではキリスト教の神のことを「God」(英語、オランダ語。スウェーデン語ではGud)と呼びます。

これはもともとゲルマン人の言葉のGottが語源となっています。ゲルマン人のドイツ語で神はGottですね。

ラテン語で神はDeusなのでラテン語源の言葉では

🇮🇹Dio

🇪🇸Dios

🇵🇹Deus

🇫🇷Dieu

になります。

同じようなことを言っていてもそもそもの文化的背景によって使われる言葉は変わってくるというのを知っておくのは大切だと思うので、興味のある方は調べて見てください!

ちなみにキリスト教、ユダヤ教では「やたらに神の名を唱えてはならない。」と言う決まりがあるので良く思われないこともあるので気をつけてください。

 

■ハイテクスト文化、ローテクスト文化

さて、ここから本題に近づいて行きます。

が、もう少々お付き合いください。

毎度毎度、前置きが長くてすいません。

前提となる文化によって言語は仕組み化されます。

ハイコンテクスト(高文脈)、ローコンテクスト(低文脈)言語という概念があります。

コーチ仲間のスーパーGKコーチ阿部さんから教えてもらったのですが、文化人類学者のエドワード.T.ホール氏(1914 – 2009)が提唱した概念です。

 

①ハイコンテクスト文化

人間関係や社会習慣など言語メッセージ以外に依存するタイプのコミュニケーション。

詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、察しの文化といえる。

「聞く力」が重視される。

 

②低コンテクスト文化

言語が緻密性をもっていて、言語以外のものに依存しないタイプのコミュニケーション。

何事も言葉にして明らかにしないと分かり合えない、言葉の文化といえる。

「言う力」が重視される。

 

日本語はハイコンテクスト文化の代表でローコンテクスト文化の代表はドイツ語だそうです。

 

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化

※WEBサイトより抜粋

 

僕は主語になる人(話者)の見ている景色を共有するための枠組みを作るところからコミュニケーションが始まります。

「昨日、渋谷でさ…」

のように、聞き手に「この景色の話するからここにカメラ置くからね」と共有するところから入ります。

そうすることで、お互いが認識出来ているものは省略しても問題ないと言う聞き手の能力に依存した言語なのでここが重要となります。

話が上手な人はこの枠組みの設定が絶妙です。

枠組みの設定が物足りないと「それで、なんの話?何が言いたいの?」となりますし、逆に絶妙に枠組みを小さくしておくことで「すべらない話」が出来るのです。

千原ジュニアさん、小籔千豊さんはこの辺り絶妙に上手いように感じます。(当社比)

反対に諸外国語は「神の目線」に立って客観的に事実を述べて行く前提があると前回ご紹介しました。

この目線の置きどころの前提が上記のような言語のパーソナリティに繋がっているのかな?と思います。

この前提を頭に入れた上でないとcomeの概念は理解出来ないので頭に入れておいてください。

 

■行くと来る、goとcome

自分の部屋にいて「ご飯だよー!」と家の人に言われたこと人生で1度はありますよね?

そんな時、何と返事をしますか?

・・

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「はーい、今、行くー!」ではないでしょうか?

口に出す言葉は違うにしろ、頭の中にはこのニュアンス浮かんでいませんか?

これ、英語だと「I’m coming」となります。

「え?comeって『来る』って習ったんだけど?」

とお思いのあなた。

大丈夫です。僕もそうでした笑

イタリア語を勉強している時(当時34歳)にこの概念の違いに初めて気がつきましたので大丈夫です。

単語の意味や語順の仕組みは文化的背景ある前提でニュアンスが違うと言うことを知らずに必死に単語を暗記していた学生当時の僕(途中でセンスないと挫折して勉強してませんでしたが…)に教えてあげたいです笑

このニュアンスを理解するには僕らと諸外国語の目線(カメラの置きどころ)はどこにあったか?を思い出すとわかりやすくなります。

ではまず「行く・来る」の意味を確認してみましょう。

 

ゆく【行く・往く】 ※大辞林 第三版より一部抜粋

① 人・動物・乗り物が、移動する。話し手に近づく場合は「来る」という。

 ㋐ 人・動物・乗り物が、話し手のいる場所から遠くへ移動する

 

くる【来る】 ※大辞林 第三版より一部抜粋

話し手のいる方へ近づく。

㋐ (話し手と動作者とが別の場合)話し手が今いる場所、または話し手の領域にやってくる。

 自分のいる方に接近・到着する。 「こっちへこい」 「客がくる」 「やっと電車がきた」

㋑ (話し手と動作者とが同一の場合)話し手の今いる地点を現在以外の時に訪れる。やってくる。 「一〇年前に一度きたことがある」 「この道はいつかきた道」 「あしたまたくるよ」

② 動作者が、話し手とともに移動する。目的地に自分を置いた気持ちでいう場合には「行く」で表現することも可能。 「映画を見にいく所なんだけど一緒にこないか」 「あしたのハイキング、あの人もくるの」

③ 物が運ばれて、話し手のもとに到達する。 「ミロのビーナスが今度また日本にくるそうだ」 「やっと返事がきた」 「先月発注した品物がまだこない」

 

詳細は辞書を引いて見ていただきたいのですが、日本語は「話者の視点」にカメラが置かれます。ですので、

 話者のスクリーンから離れて行く動き→「行く」

 話者のスクリーンに近づいて行く動き→「来る」

と表現します。

 

では、続いてgoとcomeについて調べます。

 

【go】※Weblio辞書より一部抜粋

意味:行く、(ある場所・人(の所)・方向へ)行く、向かう、(活動などに従事するために)行く、通う、(ある目的で)行く、運行している、移動する、進む、(…で)行く

イメージ:視点が置かれているところから離れて行く

 

【come】Weblio辞書より一部抜粋

意味:来る、(話し手のほうへ)やってくる、(相手のほうへ)行く、やってくる、

   (ある場所に)到着する、届く、達する、巡って来る、到来する、現われる

イメージ:視点のあるところに移動する

     通常は話し手の所へ「来る」こと

     心理的視点が相手の所にある時は相手の所へ「行く」

 

「come」には「来る」と言うニュアンスももちろんありますが、『第三者目線にカメラが置いてある』前提としてあるため、話題のとなっている場所に視点が置かれる場合は「come」を用いて「行く」と表します。

 

先日Instagramのストーリーでアメリカ人のモデルさんが品川駅の切符売り場を指差して「Kyoto here we come!」と書いていました。

この場合Kyotoが目的地となり上述の「心理的視点」になるので、「京都、今から行くぜ、待ってろよ!」的なニュアンスになるそうです。

(アメリカの大学を卒業した教え子に確認しました。)

 

■英語だけじゃなかったcomeの概念

このcomeの概念に気づいたのはイタリア語を勉強している時でした。

イタリア語ではvenireと言いますが、comeと同じ意味で日本語の来るでは説明しきれないですよ。とイタリア語の参考書に書いてありました。

そこで初めて「え、comeって『来る』じゃないんだ」と知ったのです。

そこからいろんなことが繋がって来ました。

これまでのメルマガでご紹介した「体をどう動かすか?ではなく目的地の認識と本来の目的地にズレが起こらないようにすること」と言うのはこの概念が大きく関係しているのだと。

海外のフットボールと日本に帰って来て見るサッカーとの違いはここにあるんだと解釈しました。

そこで諸外国語ではどうなっているのか調べて見ました。

2019年1月のFIFAランクTOP20です。

カッコの中にある国旗がその国の公用語を示しています。カッコがないのはフランス語のように国の名前と言葉の名前が同じ言語を使っている国です。

方言のように異なった単語や言い回しを用いることはあるものの、英語スペイン語を使っている国がほとんどでその他の国でも語源に同じルーツを持つような国が多くなっています。

そこでそれぞれの言語でcomeの概念がどうなっているかを調べましたが、

イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、オランダ語では皆comeと同じイメージの言葉が存在しました。

そして先日のアジアカップを観ていて、ベトナム代表の選手たちの動きに違和感がなくとてもスムーズに動いているなと思いベトナム語も調べたところやはりcomeと同じイメージを持つ言葉があったのです。

 

■まとめ

これが「comeの概念」です。

僕が作った特別なものではなく、そもそも存在している「come」と言う単語の持つ意味、概念を知りませんか?と言う意味です。

何度も申し上げていますが、前提となる文化的背景があると言うのを抜きに暗記科目として外国語に取り組んでいるケースの場合、辞書の上の方にある言葉だけ照らし合わせて覚えることをして来ているケースが多いと思います。

なのでそういったニュアンス、そういった概念で彼らがフットボールを捉えている。

と言うのを知らずに形だけ彼らのやっていることを真似しても、全く別物になってしまうのではないか?と思っています。

言語学の分野では言語によって見えてる世界が変わって来る。

と言うものが体系だてられてまとめられていますので、気になった方は言語学の世界に足を踏み入れて見るのも良いと思います。

そしてこの記事をご覧になっているあなた、学生さんがいらっしゃいましたら学校の外国語の授業と国語の授業、マジで余すところなく学んでいただきたいと思います。

以上「comeの概念」の前提をお話ししました。

【go come 意味】と調べてもらうと色々とまとめ記事などが出て来ますので「鬼木の説明わかりづれーよ」と言う方は調べてみてください。

次回は、この「comeの概念」をどうフットボールに繋げるか?と言う部分についてお話して行きたいと思います。

 

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