ドリブルしている時に○○になっていませんか?

鬼木祐輔

こんにちは、鬼木です。

前回は、「姿勢」の言葉の意味から考えられる前提を紹介いたしました。

それを踏まえ、今回はどのようにあるシーン(姿勢)の前後の流れを見ていくのか?についてお話ししていこうと思います。

 姿勢を意識し過ぎて勢いなくなっていませんか?

「こういうプレーの時は○○な姿勢がいい」という話をよく耳にすることが多いですし、僕自身もそういう声かけをすることがあります。

しかし、前回のブログでも取り上げましたが、「姿勢」という言葉がもたらすイメージが「静止画」的なニュアンスを強く含み、「姿勢」を強調して伝えることがあります。

これでは、実際に伝えたい「勢い」を持った一連の流れのイメージを、殺してしまうことが多いのでないか?と思っています。

本来、相手や味方・スペースなど次の流れに引き出されると言いますか、自然とそうなるはずのものを切り取って練習してしまうことがあります。

そうすると、本来は過程の一コマであるはずなのに、イメージがスクショされ必要な勢いが失われてしまい、逆にやりづらくなってしまっているケースがあると思っています。

よく言われる「猫背」は本当にダメなのか?

悪い姿勢の代表格といえば、「猫背」ですね。

見た目からして確かに力が発揮出来なそうな感じしかしませんが、背中や腰が丸まっているから良くない。

と決めつけてしまうのは、少し早合点な気がします。

まずは、どんな一連の動きの中で背中や腰が丸まっているように見えているのか?を確認する必要があります。

  • 丸まっていてもいい状況なのか?
  • 丸まっていてはいけないのか?
  • 本来はどのような形になっているべきなのか?
  • でもそうなっていない。その原因はなんなのか?

を探し出す必要があると思います。

その答えを見つけ出す鍵となるのは、そのシーンの前後がどうなっていたのか、いるのか?だと思ってます。

猫背姿勢のように横から見てこのような形【  )】になる時は、自分の前方や下方に何らかのアクションを起こす際や、前方や下方に認識が置かれている時にそのような姿勢になりやすくなります。

「なりやすくなる」というより、ならないとやりづらい…

もしくは勝手にそうなるはず…と言った方が適切かもしれません。

プレーの中で言えば、ボールをトラップ(コントロール)し始める際に、ボールを向かい入れる時は体が丸まったところから体がまっすぐになります。

その過程で、ボールの勢いを殺してコントロールをすることになりますし、シュートの蹴り終わりの形は全身が丸くなるような形で足が振り抜かれます。

過程の中でこうなる瞬間ってあるよね?

こちらの動画をご覧ください。

ジダンの現役時代のプレー集ですが、ボールの触りはじめのところは背番号が引き延ばされるように背中が丸まるようなシルエットになっています。

その後、身体が伸びていくように真っ直ぐなっていくのが見てわかると思います。

良い姿勢が良いという先入観から、背筋を全て真っ直ぐさせて一連の動きを真似してみてください。

ただでさえ真似出来ないようなこれらのプレーが、全く出来ないのがわかると思います。

前述したように、一連の流れの中でこのシーンではどうあるべきなのか?を適切に評価出来ないと、姿勢をよくしようとすることが逆効果になってしまう可能性があります。

一連の流れとその時の姿勢だけでなく、

  • どういうマインドであるべきなのか?
  • そのプレーをする際の認識の置きどころが適切だったのか?

を見間違えないようにしたいです。

「カラダ」という言葉は、従来「体」という漢字を使いますが、心や精神状態、置かれた状況も含めて表現したい時は「身体」と書いて「カラダ」と使うこともあります。

ですので、姿勢とプレーを関連づけて話をする際は、「身体」全体を考えて一連のストーリーの中の1シーンとしてその動作を評価していきたいです。

なるべき時にそうならないのはなぜなんだろう?

僕が選手とプレーを振り返り合う際に整理するのは、「この時の認識の中心はなんだったのか?」です。

これは視野とは少し違うのですが、自分の認識のスクリーンの中の中心が何だったのか?を確認します。

その認識の中心と実際のプレーを比べて、

  • どうあるべきだったのか?
  • どうするべきだったのか?
  • ではどんな練習をするべきなのか?

を整理していきます。

例えば、味噌汁やスープなどを器いっぱいに注いでしまい、運ぶ時にこぼしてしまうことってありますよね?僕はよくあります笑

こぼさないように丁寧に運ぼうとしている時、意識が器に向けば向くほど溢してしまったことはありませんか?

反対に、普通に器に注がれていてこぼす可能性があまりない器を持って運ぶ時の意識の中心は、手に持っている器ではなくテーブルなどその器を置く先ではありませんか?

このように、同じ動作をしているはずなのに、意識の置きどころ(認識の中心)によって力の入り具合や身体の動きが変わってしまうことに最近気付きました。

気づいてからは、味噌汁をこぼすことが減ってきました。(その前に注ぐ量を気を付けろって話ですね笑)

冗談はさておき、プレーが上手くいっていない時、姿勢が適切でない時、同じようなことが起こっていると思うのです。

認識の中心を確認するのは、「行くべき目的地と自分の意識の向き(目的地の認識)が揃っているのか?」を確認するためです。

動物は移動する際、基本的に顔の向きに進んでいきます。

その際、認識の中心は目的地方向にあるはずです。

人間は後ろ向きに走ることもありますが、その際は後ろ方向に目的地の認識があるはずです。

動きにスムーズさがない時というのは、味噌汁溢してしまうシステムのように、いくべき場所(目的地)と自分の意識の向き(目的地の認識)がずれていることによって起こると僕は思っています。

ドリブルでボールが体からどんどん離れてスピードが上がってしまったり、ボールを触ったものの次の足が出てこず体が埋まってしまった…

という時は、大概認識のズレが起こっていると言っていいと思います。

僕らは普段日本語を使って思考しますが、「ボール『を』扱う」と言うように、自然とボールが頭の中の中心または時系列(一瞬ですが)ボールから頭に浮かんでしまうようなコミュニケーションの仕組みを用いています。

出来る人は全く問題ないのですが、上手くいかない時ってボールが認識の中心となり、だいたいボール『を』どうにかしようとして、目的地と目的地の認識のズレが起こってしまっていると思います。

そういう時は、姿勢が崩れていることも多いと思います。

また、一連の流れ(ストーリー)であるべきなのに意識がどこかでスクショされてしまう時も、目的地と目的地の認識のズレが起き姿勢や体勢が崩れてしまうことは少なくありません。

何か一つの一連の動作を成立させるには、たくさん意識するポイントがあります。

人によって、どこを強調したらいいか?というのは変わってきます。

10個意識するものがあれば、それぞれ適切なタイミングで適切な意識をしなくてはいけません。

また、意識をしすぎることにより、本来するべきタイミングを逃して逆にプレーをしにくくしているということも起こり得ます。

ですので、何かを意識的に行う際は、意識を「点」ではなく「線」で表現することを心がけています。

ドリブルに限らずですが、ボールを大事に扱おうとすることがボールを扱いにくくしてしまっていると僕は考えます。

みなさんがドリブルする際の認識の中心はどこにありますか?

ご自身や選手、お子さんと上手くいった時・上手くいかなかった時を振り返って認識の中心を確認してみてください。

上手くいった時・いかなかった時の両方を確認することがポイントになります。

そんなこと考えたことがなかったよ。

という方は、意識しながらではなく、一つのプレーが完結した時に「あ、そう言えば…」くらいのノリでご自身や選手のプレーを振り返ってみてください。

これだけではイメージが湧きづらいと思うので次回、具体例を出してご紹介していこうと思います。

この記事を書いた人鬼木 祐輔鬼木 祐輔
子どもの才能を引き出すスペシャリスト
フットボールスタイリスト(フィジカルコーチ)
コーチとトレーナーの両方の経験をもとに、「身体を上手に動かす」という、これまでにない観点から独自の指導メソッドを確立。運動が苦手な子どもでさえ短期間で上達させる優れた指導手腕は、多くのサッカー指導者から高く評価されている。現在では、幼稚園から大学まで、各世代の強豪校やプロ選手の指導に携わりながら、短期スクールや講習会なども精力的に行っている。
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