☆利き足と両足の議論について

檜垣裕志 講師

★議論の中心はそこではない

利き足と両足の議論、本来はそこではないのです。
サッカーというスポーツを正しく捉えることが出来ていれば、必ず上手くなることに繋がっています。

先ず、サッカーはゴールを目指し、ゴールをさせないという競技スポーツです。

マイボールになればゴールするため、相手ボールになればゴールさせないために、ということが当たり前に出来なければなりません。
それが当たり前であれば、自分がボールを持ったときにはそのボールは奪われてはいけないのは当然で、自分自身がボールを持てて、より良い判断に結びつけねばなりません。

そのことが本当に、芯からわかっていなければならないのです。

もし、ボールを持てる技術、ボールを取られない技術を世界トップレベルで出来るのであれば、そこには両足、利き足云々は関係ありません。
絶対にボールを取られない技術であれば、すでに世界トップなのですから。

★上手くなるために考えたから

僕自身は17歳からサッカーを始めましたが、最初からボールを持てる技術、ボールを取られない技術について考えていました。
その技術があってこそ夢に繋がるのであり、心からサッカーを楽しめると思っていました。

しかし、その技術こそどうしたら出来るようになるかがわかりませんでした。

当時はドリブルでボールを前に運ぶことさえ知らなかったのです。

サッカー好きの後輩にも聞いたことがあります。
彼は両足のインでボールのバタバタタッチを教えてくれました。
そのときに腑に落ちない思いをしたのを覚えています。それではボールを前に運べなかったからです。

僕のサッカー人生は、どうすれば上手くなるかが全くわからずにサッカーを始めることになりました。

日本では常に「両足」と言われ、その洗脳がボールを持てる技術、ボールを取られない技術から遠ざけているということに気づきませんでした。

高校サッカーは蹴って走る、というただそれだけでした。
それはそれでサッカーなんだろうけど、上手くなることとは全く関係のないサッカーでした。

そんなサッカーを経てブラジルに行くのですが、僕の中では絶望感しかありませんでした。何しろ、下手なのですから(笑)

それこそ、ボールを持てる技術なんて全くありません。ボールコントロール技術も。

ブラジルでは案の定、ボールコントロールはおろか、リフティングの練習メニューは全くできない、技術練習はミスばかり。
紅白戦はボールを取られ、味方から罵声を浴びてパスも来ないという始末。

だからこそ、とことんボールコントロールの練習、トレーニングをやりましたよ。

そう、両足で。

いわゆる日本の両足練習、いや、世界の両足練習です。
ブラジルでも両足練習メニューはあります。

両足のボールコントロールは上手くなりますよ。
でもボールを持てないし、ボールを取られるんです。
自分でもボールをコントロールする力は上がっている実感はあるのに…

★上手くなるために考えた結果

どうすればボールを持てるようになるかをずっと考えていたときに、ブラジルの選手たち、世界のトッププレイヤーたちを見て、彼らの「利き足」に気づきました。

彼らは正確に利き足にボールを置いて、正確に利き足でボールを持ち、正確に利き足を使えるという利き足の技術を持っていたのです。

ボールを持てる、ボールを取られない、それこそが技術の根幹であり、そこには「利き足」が大きな鍵を握っていることは間違いはありません。
それこそが「利き足」の意味することなのです。

安易な利き足だけではありませんよ。
実際、世界のトッププレイヤーたちには昔から変わらず、「利き足のポイント」があります。
僕はそれを言っているだけです。

日本で17歳からサッカーを始め、日本の指導の中でサッカーをして、ブラジルに渡り、重要な技術に気づき、ブラジル一部リーグのプロサッカー選手になれたことは、唯一無二の証明でしょう。

それが意味することは、正しい努力と練習やトレーニングによって誰もが最大限に上手くなるのが可能だということです。

先ず、利き足と両足の議論の前に、サッカーの正しい基礎基本を本当に理解出来ているかです。

その理解があり、ボールを持てる技術、ボールを取られない技術について求めていくと「利き足」という観点は絶対に必要になります。

そこには、良いボールの持ち方、良いボールの置き場所、良いボールコントロールというものが存在してこそ、意味があることです。

ボールを持てる技術、ボールを取られない技術について、正しく求めていくことで「利き足」は重要なキーポイントであり、はじめの一歩ということです。

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