少年サッカーにおけるドリブルとパスの議論について
三浦です。
他のチームのコーチとの交流や、保護者との交流ではこんな話題で盛り上がることがあります。
「ドリブル主体のチーム、パス主体のチームのどちらがいいのだろうか」
「高校サッカー選手権でも、ドリブル主体のチームとパス主体のチームに分かれている」
「カタールW杯を見ても、勝負を決めるシーンではエースとなる選手のドリブルだった」
パスか、ドリブルか。
指導者として20年以上サッカーに関わっていますが、この議論に答えは出ていないようです。
そもそも答えを出すべき問題なのかも疑問ですが、三浦の経験をもとに記事を書きました。
目次
あるドリブル主体の小学生チーム
サッカーの指導者として勉強をしていた頃、ドリブルを主体とするチームの指導者と出会いました。
小学生のうちにドリブルで徹底的に個の力を磨くことで、中学、高校で通用する選手を育てるという信念を持っていました。
チーム練習でもほとんどドリブル練習でした。小学1年生から6年生までドリブルでボールタッチを磨いているので、ボールコントロールは地域でもピカイチでした。
リフティングも上手で、トラップもピタッと止まる。子供たちは自信をもって試合でプレーしていました。
これだけを見れば、ドリブルサッカーこそ正解と思わずにいられません。
三浦のチームでもドリブル練習の割合が多くなっていきました。
先輩指導者の悩み
先輩指導者のドリブル主体のチームはジュニアユースチームがなく、進路はクラブチームから部活でした。
ドリブルに自信がある選手たちはセレクションに挑戦してクラブチームに進む子が多かったです。
ジュニアユースチームでも、小学生時代に培ったドリブルスキルは光っていました。
ある日、先輩指導者に会う機会がありました。三浦はさっそく選手たちの将来について聞きました。
「高校でサッカーする子がなかなか出てこない、進学しても辞めてしまう。」
先輩指導者は悩んでいました。
自分の指導方針が間違っていたのかも知れないと後悔していました。
ドリブルとかパスの問題じゃない
先輩指導者は、ドリブルを主体に個の技術を伸ばすことを目標にしていました。
しかし、個の技術や個の力というものは、ドリブルとかパスとか、外見の問題じゃないのだと語りました。
小学生から高校生まで一貫して指導出来るのなら別だが、小学生の時期しか指導出来ないのであれば、指導の中に足りないものがあった。と後悔していました。
中学生になった選手たちの悩み
ジュニアユースチームに入ってプレーする選手たちが、その指導者のもとに相談に来ることが度々あったそうです。
時には保護者も一緒に相談に来ていたそうです。
「判断力がないと言われるんです」
テクニックは問題ないのに、判断力がないから味方を使えないし、味方に使ってもらえない。
「頭を使えとか言われても、何をどう判断していいのかわからなくて」
同じような悩みを持って相談する選手が何人かいたそうです。
中学時代にそのような経験をしたためか、高校に進学してまでサッカーをするモチベーションが失せてしまう。
先輩指導者は、あらためて指導方法について考え直したそうです。
パス主体のチームでも同じ悩み
ドリブルよりパスが優れているかのような話になってしまいましたが、それは違います。
別のチームですが、ショートパスを主体にするチームでも中学に進んで壁にぶち当たる選手がいるということを知りました。
「小学生のサッカーで何を教わってきたんだ」
と、厳しい言葉をかけられたこともあったようです。
少年サッカーの指導者にとってキツイ言葉です。
どんな場面にその言葉が出てきたのかを聞くと、次のような内容でした。
味方がワンツーをしようとパスを出してもリターンパスが出てこない。自分へのパスだと思って前を向いてしまう。
相手チームがワンツーを使って来ると、どうしてもボールを追ってしまうので簡単に抜かれてしまうというものでした。
ワンツーはサッカーでは基本ですが、パスサッカーでも横パスと縦バスを組み合わせたサッカーでは意外に使っていないのかも知れません。
ドリブルとか、パスとか、形の問題ではない、小学生のサッカーで見落としてはいけない何かがあるのだろう。
攻撃と守備のバランスなのか、ボールも動く、人も動くという動きの質の問題なのか。
そうじゃない、サッカーを続けていくということはいろいろな指導者や仲間との出会いの連続だ。
環境が変わっていっても、サッカーの本質は変わらないはず。それは、自分の頭で考えること。
三浦がそこに気づいたのは、指導者になって2クール目でした。1クールは1年生が6年生になる6年間です。
2クール目は7年目になりますが、実際は10年ほど経っていました。
頭を使ってプレーするという意味
ドリブル主体のチームでは、目の前の相手を抜くことに目的があり、ショートパス主体のチームでは、目の前の相手に奪われないように味方へパスすることに目的があると仮定します。
すると、自分と相手と味方の3人までしか見えていない、3人までしか考えられない。
中学に進んで、11人制になり、コートには自分以外に21人の選手がいます。
ジュニアユースチームの指導者が選手に要求することは、目の前の相手はもちろんですが、11人対11人のサッカーの流れを判断することなのだと思います。
ドリブル主体のサッカーを経験しても、逆サイドに出来たスペースが目に入れば、味方とそのチャンスを共有したプレーが出来るはずです。
パス主体のサッカーを経験しても、味方をフリーにするためにあえてボールをキープして相手を引き付け、味方のスペースを作る動きが出来るはずです。
ドリブル主体にしても、パス主体にしても、パターン化したプレーしか出来ないとすれば、それはサッカーの本質をついていません。
自由に発想して、判断していい。ボールコントロールにミスがあるように、自分で判断したことにもミスはある。
判断のミスをたくさんして、よい判断が出来るようになること。それが小学生のサッカーに必要な何かだったのではないだろうか。
三浦はそう思います。
まとめ
高校サッカー選手権の季節ですね。
高校サッカー選手権というと、2005年度の野洲高校のセクシーフットボールを思い出します。
乾選手を中心とするドリブル主体のチームと言われていますが、ドリブルとパスのコンビネーションのお手本のようなサッカーでした。特に決勝戦では、荒堀選手のロングフィードがあってこその勝利でした。
山本監督の手腕も素晴らしいですが、すべて選手が自分たちで判断した結果のプレーであることに価値があります。
得意とする技術をチームの勝利に向けてどう使えばいいのか。少年サッカーでも、自分の頭で創意工夫することを指導していきたいと思ったものです。
保護者の方々も、わが子が勇気を出して自分で判断したプレーを見つけたら、褒めてあげて欲しいです。
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